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闘魂 サバイバル生活者のブログ

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物価に織り込まれる利子

物価に織り込まれる利子

マルグリット・ケネディの言葉。「エンデの遺言」(NHK出版)より。なお、「エンデの遺言」動画はこちら「エンデの遺言」<その1(約30分)>そして<その2(約30分)>

…たいていの人は、借金しなければ利子を支払う必要はないと信じています。しかし、私たちの支払うすべての物価に利子部分が含まれているのです。商品やサービスの提供者は、機械や建物を調達するために銀行に支払いをしなければならないわけで、銀行への支払い部分が物価に含まれているのです。あるいは、投入した自分の資本を、銀行やその他のところに投資した場合に得られたであろう利子が価格に上乗せされます。

例えば、いまのドイツでなら、1戸あたり1万8000マルクの利子を支払っています。年収が5万6000マルクあるとすると、その30%も利子として負担していることになるのです。だから、もし利子をやめて別の有効な流通メカニズムを採用することができたら、その流通促進のために新たな負担が生じたとしても、たいていの人たちは所得が2倍になります。あるいは、現在の生活水準を維持するのに、もっと少なく働けばよくなります…

ちなみに利子をウィキペディアで調べると次のような一節があったので引用しておく。

…また、単に借金の棒引きとイコールで捉えられることの多い、日本史で登場する「徳政令」であるが、基本的には「利息がついている契約」のみが対象であった。借金の返せない民が増え、徳政令の出番となるのは、多くの場合「元本を返済する能力があったとしても利子(鎌倉時代当時の言葉で「利平(りひょう)」と言った)が膨らんでしまう」ためであった。

さらに、シルビオ・ゲゼルは金利が社会にもたらすさまざまな悪影響について考察し、自由貨幣と呼ばれる減価する貨幣の導入で金利を廃止しようとした。

さらに、「利子」は「単利」の場合のみ認めるが、「複利」(利子の額を元本に組み込んで計算する)の利子つき金融を認めない例もある(ローマ法以来、多くの立法例で複利計算は禁止されていた。日本民法においても、利息の元本繰り入れは、契約によることを要し、その旨の約定がなければ単利計算となる)。

複利計算に関しては、復古主義としてではなく、近年の脱資本主義的思想・運動からの疑義もある。マルグリット・ケネディはこのようなたとえを用いて複利計算の矛盾を問うている。
ヨゼフが息子キリストの誕生のとき(西暦1年か紀元前4年かは不詳)に、5%の利子で1プフェニヒ(100分の1マルク)を銀行に預けたとする。
彼が1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個、引き出すことができることになる。
宗教的な側面からの禁止規定は、利息を、労働なくして得る所得=「不労所得」として卑しむ考えからである。それではなぜ、現代のヨーロッパ主導の世界的経済体制の中で、利子つき金融、それも複利計算のものが圧倒的主流を占めているのか、という疑問が生じる。

かつてはキリスト教会によって、前掲の旧約聖書の規定に基づき、利子つき金融は戒められていた。しかし利子を取る金融を、不当なものとして排除してきた教皇庁が、税金や給料を払うための「補償金」という名目において事実上認めたことから、以降人目を避けずに利息つきの金銭貸借ができるようになり、新しい両替商たちが成長し、ルネサンスの原動力となったという。

13世紀に登場した新しい「両替商」たちは、それ以前(中世)の「金貸し」が封建領主の「消費」のために活動したのに対し、市民から集めた資本を、貿易商人たちの商品購入資金や、工場主たちの設備投資のために、つまり「生産」と「流通」を対象に信用貸しをおこなった。積極的な是認としては、1545年にイギリスでヘンリー8世が10%以内の利子取得を認める法令を発布している。また、カトリック教会ものちに(19世紀)利子を容認するようになった。

春秋戦国時代の中国では商人が名目上とは言え「士農工商」の第四層に置かれたように、また中世ヨーロッパでも商人の利潤追求は社会倫理と無関係あるいは相反するものと捉えられてきたことなどから見えるとおり、「商業」は生産を行わずに物品を動かすだけで利益を挙げる「不労所得」に類するとの観念が様々なところで見られるが、たとえばイスラームにおいてはそうではない。開祖ムハンマド自身が交易商人であったし、その教えの中で商業(利潤の追求)は大いに推奨されている。にもかかわらず、利子はリバーと呼ばれ、やはり不労所得として禁止されてきた。それは、頭脳労働やリスクを伴わない所得とされたゆえである。(イスラム世界の銀行制度についてはイスラム銀行を参照。)

なお、利子そのものを禁じていない文化でも、高利に対する規制は厳しいことが多かった(たとえば江戸幕府の開府当初は年率20%が上限。元文1年<1736年>には15%に引き下げられる)が、それに対する金融業者(高利貸)は、名目上は「利子」ではない「手数料」(これはイスラーム圏でヒヤルと呼ばれるものに似ている)ということにして、取り立てていた。天保13年(1842年)の法令では法定利率が年率12%に引き下げられ、礼金・筆墨料などの名目で利子を余分に取ることなどが禁じられたが、「禁じられた」ということは、少なくともそれまで江戸の金融業者たちは、法定利率以上に徴利していたということが逆に分かる…


最後に地域通貨(ウィキペディア)も一部引用しておく。

…"The Future of Money"(日本語訳「マネー崩壊」、日本経済評論者)の著者であるベルナルド・リエターが創設したアクセス財団や、"The Inflation and Interest-free money"の著者であるマルグリット・ケネディらが創設したMONNETA、また国際的な連帯経済のネットワークであるアライアンス21内の運動である社会的通貨ワークショップなどが、世界各地に散らばっている実践者や研究者などを結んだ国際的なネットワークを生み出しつつある。

また、関連の国際会議も最近は開催されるようになっている。シューマッハー協会が2004年6月に米国ニューヨーク州で開催した21世紀の地域通貨や、マルグリット・ケネディらが2004年7月にドイツで開催した欧州補完通貨会議などで、数多くの異なった事例が紹介されている。また、2006年と2007年にはBALLE(Business Alliance for Living Local Economies)という米国の地域経済振興団体が開催した会議のプレイベントとして地域通貨が特集されている。

この他、事例としても注目すべきものが増えている。ドイツではREGIO(地方通貨)と呼ばれる運動が盛んになっており、バイエルン州南東部のキームガウアー(2003年発足)などの実践例が生まれつつある。アメリカではマサチューセッツ州西部のバークシャー郡でバークシェアーズという地域通貨が2006年9月に発足し、1年も経たないうちに100万ドル相当の地域通貨が地域内で流通している。両者とも地産地消型経済の推進を目的として運営されており、これらの成功が今後の世界の地域通貨の動向を示すものと思われる。

日本でも地域通貨関連の会議は各地で開催されているが、国際的な連携というよりも国内での事例紹介が主目的となっている…


2008年3月23日 根賀源三


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